🇺🇦ウクライナのこどもたち
今週から娘の学校にも、
🇺🇦ウクライナの子どもたちの登校が始まりました。
🇺🇦への寄付金集めのため、
生徒たちが、朝校門でパン・オ・ショコラを販売し始めたので、
今日の朝ごはんは果物だけ食べて登校していきました。
🇺🇦のこどもたちは、英語が話せるようで、
語学担当の先生たちが対応をしているようです。
(娘の学校の言語は、🇬🇧が必須で、2年目からは選択で、
特別🇬🇧、🇩🇪語、🇪🇸語、🇮🇹語、ラテン語があるので語学の先生はいっぱいいます。)
先週末は、近所のスーパーで、🇫🇷人が🇺🇦人家族に色々商品を説明しながら、
カートを押しながらお買い物する数家族を見かけました。
今までは、テレビの世界の中の事が、自分の日常で目にするようになり、
銃声音も爆撃音も戦車も戦いも見てないけど、恐ろしさを感じました。
もし、自分が同じ立場ならと考えると胸が詰まり、苦しくなりました。
そんなこともあり、
たくさん売れ残っているようなら、
明日の朝、パパとママが食べればいいから2つ余分に買っておいて。
と少しでも足しになるのならと思いお金を渡しました。
今日、訪問させていただいているブロガーさんの記事を読み思い出した詩です。
中学2年生の国語の本より
「見えないだけ」 作詩 牟礼慶子
空の上には
もっと青い空が浮かんでいる
波の底には
もっと大きな海が眠っている
胸の奥で
ことばがはぐくんでいる優しい世界
次の垣根で
蕾をさし出している美しい季節
少し遠くで
待ちかねている新しい友だち
あんなに確かに在るものが
まだここからは見えないだけ
私たちが見上げる空も、毎日穏やかでいい日ばかりではありませんが、
明日はどんなお天気かな?って平和に生活できます。
どんなに今日が悪い天気(状況)でも、かならず青空が出る日が普通に来るから。
大荒れの波でも、嵐が去れば穏やかな海に戻ると信じて時を待ちます。
でも、🇺🇦ウクライナの人たちには、
「青い空」も「大きな海」も、今はどんな思いで待っているんだろう?
全然先が見えない状況だけど、でも、どんな悪い状況であっても、
その向こうには未来が確かにあり、まだ見えないだけ。
心が乱れ、疲弊してしまっているのか易々と、この場所からは想像できないけど、
いつかは、安堵できる気持ちが訪れる日が来ると思いたい、信じたいです。
そんな日が、必ず来る未来を信じて、
力強く、そして、戦争が終わって、
母国の復興のために頑張らなくてはいけない🇺🇦ウクライナのこどもたちが、
少しでも笑顔を取り戻し、勉強できる、静かな環境で暮らせるように、
みんなで見守っていけたらいいな。と願わずに入られません。
行ってきます! って、手をふって登校した娘の後ろ姿を見送りながら、
一生懸命にそのこどもたちの話をしていた娘が、
どんな想いを寄せ、彼らと接していくのかなとぼんやり考えていました。
ここ数日、彼らの話題が多いのですが、
娘の優しい気持ちがどんどん芽生え、
今の自分たちに何ができるのかを一生懸命に考えています。
成長しているんだなって実感した瞬間でもありました。
変な言い方ですが、
この学校にこどもたちが来てくれたことに感謝します。
世界のどこかで、知らない人間が苦しんでいる戦争ではなく、
自分たちと同じ年齢の同じ未来に向けて生きている子ども達が、
どんな思いをしているのか。
傷つけ合うことがいかに残酷なことなのか、
しっかり胸に刻んでほしいと思います。
中学生活もあと数ヶ月で終わりにさしかかる時期に、
わたしが体験したことのない体験を重ねていく娘の未来と、
大変な荒波に放り込まれた子ども達の未来が、
少しでも多くの希望を持てるような生活を送ってほしいと願っています。
ただのおばさんの世界の片隅の呟きで申し訳ありませんでした。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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