関心 と 感心 の違い 萎縮する心
4つの心の聞心 関心 笑心 深心 と書いたのですが、関心の字を間違えていました⇨訂正します。 正しく 感心
関心とは、 どんなことでも興味を持つということ。
感心とは、 興味を持ったことから感動もしていく共鳴板を持っているということ。
この文の後に、お話をして無関心でいられるほど辛いことはない。
また、話を受けて「自分はこう思った」「だとしたらこんな方法はどうかな?」と、
アイデアを提供していただくと温かみを感じます。と書かれています。
こちらに住むようになってまだ慣れない頃、
数人で集まって話した後、私がよく言われたのが
流して聞いておけばいいよ。あんまり関わらない方がいいし。
なんか言うと揚げ足取られるから気をつけた方がいいよ!
ここでは、日本人の敵は日本人だから
ってアドバイス。
何か言うと、って何? 禁句があるの?
否定したり、怒った言葉言うわけじゃないのに違和感が残るアドバイス。
そう言われると、
私何か気に触るようこと話した? って気になる。
別にないけど。これからあるかもしれないから先に。失敗してる人多いから。
10数年たっても、日本人同士で集まり真剣な会話になると蘇ります。
萎縮してしまい、興味がある話でもだんだん話ができなくなってきています。
興味を深堀しないから、お付き合いは軽く済むし、相手も私にそんなに感心ないだろうな。
って思うと、人が弱っていようが、辛そうにしていようが、何か言うと余分なことだから、まぁいいか、なんて、話半分に聞く状況になります。
職業柄なのか、人とのコミュケーションはあまり苦にならない性分です。
特に困ってる人や体調が悪そうな人、観察しちゃうので、
割とどんな話でも真剣に聞いてしまうくせがあります。
数人のうちの一人の人が真剣に悩んで話を打ち明けているのに、
軽くあしらうようなことを平気で言う人もいました。
でも、私が軽くあしらっているように聞こえるだけで、
実は、軽くあしらっているわけではなく、
感心がないだけなのかもしれない。いやそもそも関心がないのかもしれない。
軽くあしらうとは 「相手をみくびり、適当に対応すること」を意味
ちょっと萎縮していた心ですが、やっぱりあったかい心でいたいから、
このお話を読んだ機会に、萎縮していた心を緩和させようと思いました。
共鳴板とは
弦の振動に共鳴して,その響きを増幅する薄い木の板。
弦楽器やピアノ,チェンバロなどに備えられ「響板」ともいう。
共鳴は物理学で言えば音の振動。
人と人の間の共鳴は、心の振動、心が震えて響き合うことだとそうです。
ジヴェルニーの庭にて
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