今 

日々のブログ。

一人一人の存在 と 価値

日本はまだ暑いと聞くと贅沢ですが、
こちらは朝晩寒くて 早く暖房が欲しいなと感じる季節になりました。


昨夜はお月さまがみえませんでしたが、
一昨日の朝6時のお月さま             今朝6時のお月さま

  

太陽のように眩しかったです。  朝からパワーをいただきました。


今朝 起きたら 
幼少の頃からのお友達から久しぶりのLINEが届きました。


自分の存在ってなんだろうね? 価値ないのかな?


どうした? 


と時差があるから仕事中かな? 
ミュート機能で返信したけど返答がありません。


返答あったら電話しようと思ってるんだけどなかなか返信がないので心配だけど。


自分の存在 価値 
  
本当にそこにハマるときあるよね。 
私も度々あるよ。 と呟きます。


パラリンピック選手のゲームを観戦してから、


存在する 人はみんな価値があるが
私自身の中で、今までのモヤモヤとした不確実だった思い


そのまんまでいい。 
ありのままの自分でいい


という言葉が明確になりました。


なんと表現したらいいのかわからないけど、
今まで私が感じたり、思ってた存在しているということが、
ちょっとずれた感じなのに、
存在価値という概念がぜんぜん変わったような気がします。


目に見えて役に立つ 人から評価される  実績
そんな存在価値が今までと同じようで同じではない 
なんかそんな感じの感覚です。


例えばですが、
パラリンピックのチームで行う試合を観戦すると、
みんな違う身体的なハンディがありました。


同じ車椅子に乗って、同じゲームをしているのに、
障害の程度や、四肢の欠損、体格も違う 


本当に人それぞれ 


それなのに、同じコートの中で、一緒に試合が行われています。


不平等なんじゃない の 
あんなに痩せているのにあんなに大きな人にアタックされたら危ないよ。


車椅子の上で両足がなく、上半身だけの人に体当たりする人
あーーーバランス崩して落ちたらどうするんだろう


片手がないのに、車椅子 どうやって動いてるの? 


あの人 ゲームの間、一度もボールさわってないけど、、、、


そのゲームの内容やルールを知らないで観戦した私は思いました。


そんな 目に見えているだけの
私の浅はかな情報だけで人を判断していた私。


数種目のパラリンピックを見るにつれて、どんどん感覚が変わっていく。 


ボールをさわらなくても、運ばなくても、そこにその人が存在していることが、
必要不可欠である無二の存在


目に見える動きをする人 動いてないように見える人
発言する人、発言しない人、
学校でも、職場でも人が集まれば、
それぞれのキャラクターや特徴があって当然


まだここでうまく表現したり、伝えられないけど、


そんな私が感じたことを友達と話したい。
 
あなたは、必要不可欠の存在であって、

価値は人が決めるものではないし、求めなくても、
価値がない 人間なんてどこにもいないから。

あなたはあなたであってほしい。 大好きだよ。


って伝えたい。


早く返信こないかな〜  待ってるよ。