今に感謝 

小さな幸せに感謝。普通の日が送れたことに感謝。日々のブログ。

初雪 親の介護問題について思うこと

良く冷えた朝でした。
朝食の準備をしながら、外を見たら白いものがチラチラ
今シーズン初雪  すぐに止んでしまいましたが


なんか、12月だな ってしみじみ。


そろそろ、クリスマスプレゼントを準備しないと、、、と思い、
ショッピングモールに行ってきました。


心弾むものが見つけられず何も購入せず、
ただ、ぶらぶらしただけで疲れて帰宅。


ボッケーとしていたら、


田舎の同級生から久しぶりのライン電話。


親たちの介護が必要になってきて大変と。。。
(田舎だったので、同級生の両親も親感覚で近いです。)


彼女は独身。兄がいるけど離婚して独り身。
二人とも田舎を離れて都市部で生活しているので、
限界集落に近い田舎の親の介護は、交通も不便で、
食品店など雑貨屋さんもなく、
宅急便で日常の食品なども手配しないといけないのです。


介護度が中途半端で、介護サービスなどの介入も難しい。
両親ともに90歳近いのですが、元気といえば元気。


ただ難聴で電話での会話が難しく、
結局足を運ばないといけないことも多々。
二人とも慢性疾患もあるので定期受診があり、
兄と代わり番このはずなのに、
兄の権力でしばしば自分への負担が増える。


最近は、その兄に抵抗して喧嘩も多くなったと。
お金の負担も、旅費も大きいけど、苦痛も大きい。


自分の老後を考えて、土日なども、副職をしているので、
自分の体もちょっとずつしんどくなってきている。


両親が亡くなったら、この兄との付き合いを考えると嫌になるとか。


などなど、色々な問題が彼女を辛くしている。
そして、ストレスで突発性難聴になり、
入院治療していたらしい。
(今は回復してるけど、他に頼れる身内もいなくて)


私も辛くなってきた。
手伝いに行くよ。って言えない距離でごめんね。

でも、遠くにいるから、きっと私に話してくれたんだと思う。


そして彼女は、最後に言いました。


ミーが羨ましいと。
私は、ずーっと、あなたたちが羨ましくて、
羨ましくて仕方がなかったんだよ。


口に出すと、惨めになるから言えなかった、


10代 20代 親がいなくなってから、
ずーーーーーーーーっとね。


親が欲しい!!!って、声なき叫びで毎日過ごしていたよ。
その親の介護問題で、今、彼女を悩ましている 


 なんだかです。


こうやって今、彼女の苦しみを聞くと、
自分の今までの苦労が、
若いうちでよかったと思える。
すでに両親が他界して40年以上経過したからだと思います。
 (この12月3日は、父の44回目の命日でした。)


私の周りの日仏カップルのフランス人家族の介護の話も、
最近ちらほら聞きます。


義両親は、
結婚する一年前に義理母が病気で亡くなりました。
介護らしい事は何も必要ありませんでした。
義母亡き後、義父は86歳で独居生活をしていました。


一回り以上年下の義母が先に死ぬとは思っていなかったようで、
毎日悲しみに暮れて(>_<) 本当にね、オイオイ声を出して泣くんです。
身長180センチ以上もある大きなおじいさんが。  


切なくて、切なくて、、、
私は、絶対、夫より先に死にたいと心から思いました。

今も思っています。(残されて生きる人生は2度としたくない。)


夫は、末っ子でしたが、他の兄弟は遠方で、
義母亡き後は、毎週仕事を終え金〜月の早朝まで、
パリから電車で3時間の義父宅に通っていました。


結婚してからもその生活は続き私も同伴。
娘を出産する2週間前から産後3週間の5週間のお休みをいただいた以外


        毎週(泣)


人並みにつわりもありましたが、
耐えられるくらいだったので、ムカムカしながら電車に乗って。


 と言いつつ、この当時は日本帰国は年に2回ありました(笑)


私自身、義父のお口に合うような
料理ができなかったので、滞在中のお食事の半分以上は外食。


食事以外の家事は私担当。


その当時は、まだ日本食が今のように流行る前だったのと、
田舎なので、食材もフレンチざんまい。 
数件の中華レストランはありましたが、
今ほど綺麗な外観ではなかったので、そそられず、

アジアンチックなレストラン以外の
いろんなレストランをはしごすることが出来ました。


そんな生活でも、
妊娠中の体重増加は8キロ弱ですみました。 


生まれた娘は、3800gのビック。
みんな娘の栄養になっていたのかな?


産後初めての電車の中の様子を書き綴った、
その当時の日記を見ると、 


体がしんどくて辛い


お腹の傷が引っ張られているようで痛くて辛い。 


と、、、辛い の字がいっぱい


写真もかわいそうなくらい貧相な顔の私
(今は家族写真では、私の顔だけズームですか状態。)


電車内での授乳やおむつ交換も大変でした。
その当時の電車のトイレには、おむつ交換台もなかったので、
電車の連結部のところにベビーカーで移動して交換していました。


夫のヴァカンス休暇も義父と過ごしました。


が、そんな生活も娘が3歳になる前に終わりました。
私たちが帰った後、一人でキッチンで転倒して骨折をしてしまいました。


義母となら老人ホームに入るつもりだったようですが、
一人では行きたくないと、、、、
転倒した時に覚悟を決めて、私も同居で介護するつもりでいました。


術後こちらに連れてくるか、私たちが引っ越すか?

こちらと田舎の両方で、家を探し始めた矢先、
術後3週間であっけなく亡くなってしまいました。


夫の両親の双方の兄弟(おじ、おばたち)は独身で全員独り身。


その老人たちも同時通いで夫が(もちろん私も同伴)行っていたので、
引き続き、その中で弱っている老人を優先に行き続き、各お宅に通いました。


娘の訪問をみんな心待ちにしていて、
顔を見たり抱っこするのが嬉しいと、、、仕方がない。

可愛がってもらえるうちにと思い通いました。


食材、日用品などの買い出しを、一緒にしていたので、
雑貨品や娘の衣類なども買っていいよ。って、
私的にも、臨時収入
ができて嬉しいこともありました。

みんな高齢なので、義父が亡くなってから、
次々に、病気や老衰で亡くなりました。


今は、老人 ゼロ 状態です。


今思えば、7年間あっと言う間のように感じますが、
その当時は、毎週末苦痛だったようです(日記の中では)。



読まなければ忘れてることも多々だったので、
この機会に昨夜、日記帳、断捨離しました。
またしばらくしたら忘れると思います。


現在、友達の介護のことを聞くと、


親の介護費用もだけど、
自分の老後までの先々までの負担が大きすぎるのは、
本当に精神的にも、肉体的にも金銭的にも、辛い問題ですよね。


しんどいな。


よく、周りの大人から、


若い時の苦労は買ってでもせよ っていうからね。 
「若い時にする苦労は必ず貴重な経験となって
 将来役立つものだから、求めてでもするほうがよいということ。 」
っていうけど、みーは、本当に大変だよね。と言われていた。


買ってないし、求めてない。最悪だよ!
って、いつも心で叫んでいた。


だけど、今なら思う。 そういうことね。 


本当、求めてこうなるわけではないけど、
こうやって振り返ると、人生凝縮して前倒しして、
生きているよう気がする。


そして、今は貴重な時間をいただいているのかもしれない。


人生山あり谷あり そして楽ありなのかな?


またいつか、谷が来るのかもしれないけど、
来る時は容赦無く、計画しなくても来るから、


無用な心配をしないで今を楽しもうと思います。


12月3日のカレンダーの中身       12月4日のカレンダーの中身

 

  早くも、キットカット、同じものが出てきました。(12月1日と同じ)


種類が少ない。期待していたのにいろんな味があると。
日本のキットカットなら、きっと色々ご当地の品などで楽しめるのにね。残念


     最後まで読んでいただきありがとうございました。