夢 どうでもいい夢であってほしいな。
最近、変な夢を2回見ました。
今は亡き母の兄と妹の夢(2回とも同じメンバーです)
母は、8人兄弟の4番目でした。
戦時中の1歳の時に親類の家の養子になりました。
(昭和16年生まれ)
母は、高校に入学するまで、
自分が養子であることを知らずに育ったそうです。
養子先は、手広く商売をしていてけっこう裕福な家だったようです。
親類の家なので、幼少期も自分の兄弟姉妹を従兄弟と従姉妹だと思って
過ごしていたそうです。
母より上の3人は母が妹だと知っていましたが、
母より下の4人は母が姉であることを知らずに育ったそうです。
戦後7人の兄弟で育った伯父・伯母・叔父・叔母たち。
父親は一番下の叔父が小学生の時に病気で亡くなったそうです。
生活がかなり苦しかったようです。
7人は、よく母の家に来て一緒に食事をしていたそうです。
母の養子先には跡継ぎがいなかったので、母は、戸籍上一人っ子でした。
夢に出てきたは長男伯父と母の妹になる叔母。
私の両親が亡くなってから、
母の妹の叔母には随分言葉で傷つけられました。
本当に大っ嫌いな人でした。
母の葬儀中に、戦中戦後、一人だけ美味しいものを食べていたから、
徳を独り占めしたバチが当たって胃がんになったんだと面と向かって、
言われました。
そんなことを言っておいて、母の遺品はしっかり持ち帰り、
私たちには母の形見の品はありませんでした。
渡されたのは、両親の結婚指輪だけ。
私たちに残ったのは、両親名義の土地や家屋などで、
預金などはもちろん、思い出の品など、何もかも全部彼らで分けていきました。
私が12歳の時でした。子供ながらにすごくショックでした。
そんな叔母も50歳の時に胃がんになり全摘手術を受けました。
どんな徳を積んで、バチがあたったのと毒を吐きたかったけど、
この頃には、距離を置いていたので直接会話をすることはありませんでした。
親戚の冠婚葬祭で食事をすると、
親類に胃がないのによく食べれるね。って
みんなに感心されていた叔母も数年前から認知症になり、
施設に入居中にコロナで肺炎になり亡くなりました。
長男の叔父は確か17回忌になると思います。
普段、思い出すことすらないのに、
今年になってその二人が夢に出てきたのでびっくりです。
1回目の夢は3ヶ月ぐらい前。
私たち家族が日本に帰国している時のようで、
従姉妹の家に行くと、
葬儀中で縁側から中を覗くと、
その二人と他にも亡くなった親類のおじさんが
祭壇の前に座っているところで目が覚めました。
誰の葬儀かわかりませんでした。
そしてつい先日 2回目の夢
同じ叔母が、電話で、
もう行くって、納得したみたいだからそっちに行くね。
って、長男の叔父に電話で報告をしていました。
そっかよかったな!
って、電話なのに、なぜか叔父のホッとした笑顔が見えました。
夢の中で、 私 えっ 誰? 誰が行くの?
ハッとして目が覚めました。
母の兄弟は、後 4人健在です。
みんなそれぞれ持病はあるけど、今寝込んでいる人はいないはずなんです。
私が、とりわけ好きでもないし、
むしろ嫌な思い出の多い二人が出てくる夢は
何を伝えているの?
まさか、私をお迎えに来てるの? な訳ないですよね。
彼らの子供もいるし、、、仲が良くない私の夢にじゃなくて、
自分の子供たちのところに行ってほしいわ。
お迎えだったら、お父さんかお母さんに来てほしいな。
友達も一緒に来てくれたら怖くないよね。って思う。
両親が亡くなって今年で45年 後5年で50回忌
私たち姉弟の最後の親孝行が終わるまで元気に暮らしたいし、
この生活をもっと楽しみたいので、
私のお迎えだったらごめんなさい。 当分無用です。
今度、夢に出てきたら絶対言うつもりでいます。
なんだか、夢なのにモヤっとする夢だったけど書いたらスッキリしました。
どうでもいい話にお付き合いさせてしまってすみません。
話はころっと変わりますが、
先週の土曜日にオリンピック パラリンピックのパレードが凱旋門で行われました。
テレビで観覧しましたが、
フランスすごいなって 改めて思いました。(テレビの画面から)
パリの街を作った人偉大すぎます。
街 が 全部舞台 になってる!!!
詳しく知らなかったので、
パリ改造 『ウィキペディア(Wikipedia)』 を読みました。
パリ改造は、第二帝政時の19世紀、
セーヌ県知事のジョルジュ・オスマンが取り組んだ
フランス最大の都市整備事業で現代のパリが有るそうです。
テレビの画面の写真なので、イマイチの写りですが壮大でした👏👏👏👏👏
感激でしばらくテレビに釘付けでした。
今日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
このブログへのコメントはmuragonユーザー限定です。