今に感謝 

小さな幸せに感謝。普通の日が送れたことに感謝。日々のブログ。

サッカーのフランス代表 帰国

昨夜、サッカーフランス代表が帰国しました。
負けたけど、どうしてもコンコルド広場で声援を送りたいと家族思いが、
一致したので行ってきました。 この広場に5万人が集まったそうです。
胸が熱くなりました。


負けた昨夜は、娘も夫も夕飯が食べれないくらいの落ち込みで、
試合終了後そのままふて寝してしまいました。

 

こんなに小さくしか見えないけど行って良かったです。
      国歌をみんなで歌い  大声援  震えました。
      こんな経験初めて。

   


すごい警官のセキリュティのおかげで怖い思いをすることもなく
帰宅。感謝です。いつもご苦労様です。
 (シテにあるパリ警察のライトアップ)

小さいエッフェル塔のライトが可愛い。




ここからは、先日の言語学習についての続きの話です。
少し長いので、お時間がない方はスルーしていただければと思います。


幼稚園から中学までほとんどアジア人がいないクラスで過ごしてきた娘。
高校生になり、初めてアジア人とクラスになったことが嬉しくて、
声をかけたら、在仏2世の中国人のお子さん(Aさん)だったようです。


幼稚園からの友も男女合わせると10人、
中学が同じ子も5人いるので、
クラスの半数は知っている子達です。


Aさんは、だいたい一人でいることが多いので、
娘が話しかけることが多かったようです。


1、2週間すると、娘が、彼女と会話をしていても、
時々わからない言葉があるんだけど慣れないから?
アクセントが強いからかなぁ〜 と。


授業中も、先生方から、
あなた、いつからフランスに住んでいるの?と、
聞かれるようになり、クラスメイトもほとんどの子供が、
口をきかないようになってしまい、誰も話しかけないので、
いつも娘のそばにくるようになりました。


クラスメートからは、
Aは、すごく嫌らわれているのになぜ一緒にいるの?と言われたり、
給食など大きなテーブルの相席も、娘一人なら相席してもいいけど、
その子が一緒なら嫌だ。と露骨に断られるようになり、
娘もどうしたらいいか分からず、
(じゃあ、って言う気にもならず、かと言って、二人っきりで食べるのも嫌で)
娘は給食を学校で食べなくなり、家に帰ってくるようになってしまいました。


Aさんは、幼稚園から友達らしい友達はずっと出来ず、娘が初めての友達だそうです。
でも、なんでこうなってしまうのかが、Aさんでは分からないと。


思い当たるのは、
普通使わない言葉を使ったり、言葉使いが悪いとか、
それよりも、とにかく何を言ってるのかわからないと、、、


彼女は、生まれた時からフランスに住み、
フランスの教育を受けてきたようですが、
フランス語の読み書き会話全てが、あまり出来ていないようで、
全教科の成績もかなり悪いそうです。


一期目の成績発表が先日あり、
かなり厳しい判定だったようで、
親が学校に呼び出され、今の成績では、
進学は難しいので、職業訓練、専門校などへ、
編入をした方がいいと指導されたとAさんから聞く娘。


まだ九月に入学して1学期目で!!!  びっくり!


でも、こんな感じで、呼び出しされた子どもが、
1学年で40人ほどいるそうです。


Aさんは幼稚園の頃から、中国語の学校にも通っているけど、
3年留年しているので、友達も年下だし、さらに嫌悪感が強く、
あまり楽しくないみたいです。
長期のヴァカンスには中国に帰って、現地の学校の自分の年齢のクラスに
行くらしいのですが、ほぼ何を言ってるのか理解できないから辛いけど、
だけど両親が諦めてくれず続けているそうです。


娘が知る、同年代のだいたいの日本人とフランス人の子は、
フランス語も日本語もうまく会話ができているのに、
両親ともに中国人の彼女が、仮にフランス語ができなくても、
中国語ができないって変だよね。それに、
Aさんが目指している職業がドクターなんだって。
親に言われてるらしいんだけど、私が混乱するんだけど。どう思う? 
医師になれるの? って。 


多分
Aさんもだけど、Aさんの両親も気の毒だね。


  しか言えない。


Aさんの受けてきた教育環境が合っていなくて、
親の対応がうまくできなかったのではないかなぁ?、
親は子供に期待するからね。でも、ギャップあるすぎるね。
フランス語ができないから、
ほかの教科もわからないのは当たり前の事で、
勉強は積み重ねだから、ちょっと高校の勉強だけ頑張っても、
もう医師は無理だよね。だいたい普通に勉強してても、
そんなになれる職業じゃないしね。本当、難しいね。


と、私も色々考えさせられました。
教訓  期待は持たない方がいい。子どもには言わない方がいい。


色々、娘も今回のことで、言語のこと、彼女との関係、
クラスメイトとの関係など、初めてのトラブルに大いに悩んでいたようですが、
自分で解決できる年齢にもなってきてるかなと思いしばらく様子を見ていました。


今回学校からAさんに指導が入ったおかげで、言語の問題や、
成績のことなどを知ることで、娘なりの考えがまとまったようです。


娘のアイディンティも含め、母語について色々話をするいい機会になりました。


どんな思いで、日本語を私が学ばせてきたかなども、この機会に伝えました。
(どさくさに紛れて自分の暴言などの言い訳もしてみたり (>人<;) )


私の場合は、子供が小さい頃、同年代の日仏家族と出会う機会が多く、
日本人ママとたくさん言語について話たり、今は分かりませんが、
その頃はパリでこう言った子どもたちを持つ親を対象に、
言語についての講演や小さなコミュニティなどが多くありました。


生まれてから幼稚園に行くまでは、
多言語家庭では1人1言語で話しかけることを心がけるようにとアドバイスされました。
子供は、日本語、フランス語、英語と知らずに聞いているので、
親が、日本語、フランス語、英語など混ぜて話すと、
それが1言語と思い混乱すると言われました。


(我が家では、私は日本語。夫はフランス語。夫婦間はごちゃごちゃ混ぜて宇宙語。
    子供にそれぞれが両言語で話をしないようにしていました。)


母親と濃厚に過ごす3歳までは、日本語が強いけど、
幼稚園など外の社会につながれば、必ずフランス語が伸びるので心配はない。


他には、両方の言語が同時に伸びることはなく、片方の言語の単語が増えると、
その後、もう片方の言語が追いつくので同時に伸びることがないこと。


こう言うことを知っていれば、
親もその加減で待つこともできるし、逆に諦めることもできると思うのです。


子どもが本当に、辛くなってしまったり、生活圏の言語が習得できていないことは、
きっと小学、中学と関わった教師から指導されてきていると思うのです。


その時その時に、何らかの対策ができていれば、
子供の困難も少なかったのではないのかな思います。


本当に一生懸命になればなるほど、
なんとかなると思い、
引けなくなってしまうのかなと思います。


Aさんに出会い、私たち親子で、幼少の頃からのことを振り返って、
ひとまず今までの経過はよかったんだね〜 と安堵。


娘からは、
小さい時、お友達と遊べなくて嫌だなとか、
現地校がお休みの日に日本語の教室に行くのが嫌だなって思って、
拗ねたり、泣いたりしたけど、ママは、負けずに連れて行ってくれたのはよかった。


日本の小学校も行く前は、嫌だぁって思ってたけど、
6年間通って辛いとか、全然わからないって事はなかったし、
行けてよかったと思う。
来年の6月に日本の高校も体験したいから、
日本に行かせて欲しいとお願いまでされました。
娘がその気になっている間に、話を進めようと、早速、
友人、知人、恩師に確認中です。  


私が影響を受け、すごく参考にさせていただいたのが、
川上/郁雄 早稲田大学大学院日本語教育研究科教授の
『「移動する子どもたち」と日本語教育―
         日本語を母語としない子どもへのことばの教育を考える』


あの頃に出会った、
日本人ママさんたちや講演に声をかけてくださった方々に感謝でいっぱいです。


長々と、まとまりのない内容、分かりずらい部分も多いと思いますが、
記録に残しておきたいと思います。
   
       読んでいただきありがとうございました。